二十歳の頃 休学し 船に乗った
東南アジアを巡る 小さな貨物船
甲板員見習いということで 乗船した
朝8時から 正午まで働いて 昼休み
午後は1時から始め 3時には上がり
周りは 真っ青な 海ばかり
擦り切れた レコードを聴き
同じ週刊誌を 繰り返し読む
仕事の後の ビールのうまさ
泡と喉越し 堪らなかった~
回文狂歌:仕事の後の 生ビール
あせだせあ 汗出せや
まなついつなま 真夏いつ生
のめるめの 飲める目の
しごとのどごし 仕事喉越し
あわでるでわあ 泡出るでワア
2013年8月7日水曜日
突然の兄の死
大阪の 6歳年上の兄が 急逝しました
独身で 長く一人暮らし 享年70でした
彼は 高校へは行かず 父の工場で働き
大学進学した兄達とは 別の道を歩んだ
十五年ばかり 同じ家で 暮したけれど
お互い干渉せず それぞれ我が道をゆく
実家を出てからは 大阪と東京に別れ
何かの折に 母から 近況を聞くばかり
親戚の冠婚葬祭で 顔を会わせれば
「久しぶりやね 元気?」と 生存確認
やがて父母が亡くなると さらに疎遠に
兄は その後も 気ままに一人で暮した
七人いた兄弟姉妹 家族 血のつながり
めったに会う事のない 「幻のおじさん」
多くを 語らなかった兄に 次に会えたら
今度は その心の内を 聞いてみたいな
回文狂歌:八寿雄兄 突然の死
なにはにな 浪速にな
とつぜんぜつと 突然絶と
あにしにあ 兄死にや
せがわさわがせ 瀬川騒がせ
やすおもおすや 八寿雄申すや
独身で 長く一人暮らし 享年70でした
彼は 高校へは行かず 父の工場で働き
大学進学した兄達とは 別の道を歩んだ
十五年ばかり 同じ家で 暮したけれど
お互い干渉せず それぞれ我が道をゆく
実家を出てからは 大阪と東京に別れ
何かの折に 母から 近況を聞くばかり
親戚の冠婚葬祭で 顔を会わせれば
「久しぶりやね 元気?」と 生存確認
やがて父母が亡くなると さらに疎遠に
兄は その後も 気ままに一人で暮した
七人いた兄弟姉妹 家族 血のつながり
めったに会う事のない 「幻のおじさん」
多くを 語らなかった兄に 次に会えたら
今度は その心の内を 聞いてみたいな
回文狂歌:八寿雄兄 突然の死
なにはにな 浪速にな
とつぜんぜつと 突然絶と
あにしにあ 兄死にや
せがわさわがせ 瀬川騒がせ
やすおもおすや 八寿雄申すや
2013年8月1日木曜日
2013年7月21日日曜日
飛騨高山・郡上八幡・多治見
新車「フリード」で 岐阜県を旅行しました
妻と 横浜の友人と 私の三人旅でした
17日 千倉を出て横浜へ 友人を乗せて
一路西へ 新東名に入り 浜名湖舘山寺へ
湖畔の「鞠水亭」 夜は 彩りうなぎ膳
ここまで 千倉から 走行距離350キロ
18日 浜名湖から 東海環状自動車道へ
高山市内を散歩 そば「えびす」 試し酒
高山市を見下ろす ホテルアソシア高山
屋上の露天風呂 遠くにアルプスの眺め
夜は フレンチ 「ル・ミディ」 ステーキ
肉は勿論 付け合せの野菜が おいしい
この日の 走行距離 270キロ
19日 わらび餅を買って 高山を出発
郡上八幡へ お昼は お勧めの「雀の庵」
吉田川の 鮎釣り人を見ながら 散歩
土岐アウトレット経由で 多治見市へ
夜は 今回の旅行の ハイライト「柳家」
囲炉裏を囲んで 厳選鮎・うなぎ・鹿肉
多治見の 息子も参加して 賑やか四人
さすが 食べログ 日本一のお店でした
この日の 走行距離 230キロ
20日 多治見の 多治見意匠研を訪ね
その後 岐阜県現代陶芸美術館を見学
新東名で 横浜へ 渋滞もなく順調
横浜で 友人を降ろし 千倉へ
この日の 走行距離450キロ
総走行距離 1300キロ 夕刻千倉に帰還
回文狂歌:飛騨高山・郡上八幡・多治見
ひだきたひ 飛騨期待
たかやまやかた 高山屋形
わらびらわ わらび等は
やきなやなぎや 焼きな柳家
ぐるめほめるく グルメ褒める来
妻と 横浜の友人と 私の三人旅でした
17日 千倉を出て横浜へ 友人を乗せて
一路西へ 新東名に入り 浜名湖舘山寺へ
湖畔の「鞠水亭」 夜は 彩りうなぎ膳
ここまで 千倉から 走行距離350キロ
18日 浜名湖から 東海環状自動車道へ
高山市内を散歩 そば「えびす」 試し酒
高山市を見下ろす ホテルアソシア高山
屋上の露天風呂 遠くにアルプスの眺め
夜は フレンチ 「ル・ミディ」 ステーキ
肉は勿論 付け合せの野菜が おいしい
この日の 走行距離 270キロ
19日 わらび餅を買って 高山を出発
郡上八幡へ お昼は お勧めの「雀の庵」
吉田川の 鮎釣り人を見ながら 散歩
土岐アウトレット経由で 多治見市へ
夜は 今回の旅行の ハイライト「柳家」
囲炉裏を囲んで 厳選鮎・うなぎ・鹿肉
多治見の 息子も参加して 賑やか四人
さすが 食べログ 日本一のお店でした
この日の 走行距離 230キロ
20日 多治見の 多治見意匠研を訪ね
その後 岐阜県現代陶芸美術館を見学
新東名で 横浜へ 渋滞もなく順調
横浜で 友人を降ろし 千倉へ
この日の 走行距離450キロ
総走行距離 1300キロ 夕刻千倉に帰還
回文狂歌:飛騨高山・郡上八幡・多治見
ひだきたひ 飛騨期待
たかやまやかた 高山屋形
わらびらわ わらび等は
やきなやなぎや 焼きな柳家
ぐるめほめるく グルメ褒める来
2013年7月9日火曜日
姉とさよなら
二十歳年上の姉が 亡くなった
病気療養中で 享年84でした
小さい頃 よく姉の子どもに間違われ
「本当は サザエさんと カツオです」
姉というより お母さんのようでした
高3の春 受験勉強できるよう
僕を 自宅に招いてくれました
僕は 姉の親切を無にして 勉強せず
手元の漱石全集を耽読 入試は失敗
後から 姉の手紙が 届きました
歌が 一首 添えられていました
「我が家より 受験なしたる 弟に
吉報は来ず 町に雨降る」
回文狂歌:淑子姉さん さようなら
さいごいざ 最期いざ
はたちくちたは 二十歳朽ちたは
としこしと 淑子死と
ははにもにはは 母にも似あわ
わがみすみかわ 我が身澄川
病気療養中で 享年84でした
小さい頃 よく姉の子どもに間違われ
「本当は サザエさんと カツオです」
姉というより お母さんのようでした
高3の春 受験勉強できるよう
僕を 自宅に招いてくれました
僕は 姉の親切を無にして 勉強せず
手元の漱石全集を耽読 入試は失敗
後から 姉の手紙が 届きました
歌が 一首 添えられていました
「我が家より 受験なしたる 弟に
吉報は来ず 町に雨降る」
回文狂歌:淑子姉さん さようなら
さいごいざ 最期いざ
はたちくちたは 二十歳朽ちたは
としこしと 淑子死と
ははにもにはは 母にも似あわ
わがみすみかわ 我が身澄川
2013年6月20日木曜日
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